ある雑記帳

とりあえず気楽にやります。

2016年01月

先日鼻づまりの話を書いたのですが、治ったときに処方してもらっていた薬が何だったのか気になって調べてみました。
前記事:慢性鼻炎・鼻づまりが治った話

以前処方してもらった薬は「エリザス」というものだったようです。
画像を調べたらまさにこれでした。
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粉末式で少量なので点鼻しても使った感じがまるでない薬でしたがしっかり効いてくれていたようです。
この薬は市販されていないようですが、ステロイド配合の点鼻薬は数種類市販されているようですね。
花粉症対策まとめ様の記事が興味深かったです。

もう点鼻薬にお世話になることはないといいのですが。


 

子供のころから慢性鼻炎で年中鼻づまりでした。
子供のころは毎週の通院が嫌でサボり、大人になっても長らく放置していました。

そもそも子供のころは鼻が詰まっているのが当たり前だと思っており、大人になってからも静かにしていれば何とか鼻呼吸で耐えられるくらいでしたが、そんなもんだと思っていました。
ジョギングなどで鼻から2回吸って、口から2回吐いてなどと指導されても絶対無理で、何を言っているのだとすら思っていました。
また、よく鼻をかんでいました。垂れてくるわけではないのでかまなければかまないでもいいのですが、かめば何回でもかめました。鼻をかんだからと言って鼻がよく通るわけでもありませんでした。

元々鼻炎が当たり前の人は生活の質が悪い状態であることに気づかない場合があります。
鼻が詰まっていても口で呼吸することで生活できてしまうため、本人としては問題ないのです。口で呼吸するために風邪をひきやすかったり、イライラしやすかったりしても、それが普通だと思っていました。
正常な状態を知らないと治療する気にならないため、だらだらと質が悪い生活を送り続けることになります。
ただ、年に1~2回くらいスーッと鼻が通ることがあり、その時はとても気持ちよく気分が落ち着いて、頭も涼しかった記憶があります。

ブリーズライトが出回り始め使ったところ呼吸が楽になり睡眠時に使用するようになりました。
それでも鼻が通る感覚には程遠かったです。

同時期に「鼻スースー」もよく使っていました。
鼻が通る状態にはなりませんでしたが、清涼感があるので不快感の緩和にはなりました。

スプレー式の鼻洗浄剤も試したことがありましたが、効果が実感できず、費用も高めだったのですぐやめました。

あるとき花粉症になり、病院で処方された点鼻薬を点したところ鼻が通ったことから、その後薬局で市販の鼻炎用点鼻薬を買うようになりました。
点鼻薬を使用すると鼻の奥の粘膜の腫れが引ける様子が自分でも感じられました。
鼻がスースー通って、年に1~2回たまたま発生するあの爽快感が簡単に得られました。初期は1度点鼻すると9時間程度は鼻が通っていました。朝1回、寝る前に1回の使用で生活が快適になり、普通の人はこんなに爽快な生活をしていたのかと感心しました。 

鼻づまりがない状態の快適さを覚えてからしばらくすると、点鼻薬を使用しないでこの状態を維持したいと考えるようになりました。
調べたところレーザー治療を行っている耳鼻科が近所にあり、さっそく申し込みました。
鼻の奥の腫れている粘膜をレーザーで焼き固めてしまうという手術です。
においがわからなくなるようなことはないそうで、数年後に状態が元に戻ったら必要に応じてまた施術が必要なものだそうです。
事前の検査通院の後、手術を受けました。
局部麻酔で30分程度、鼻の穴から器具を入れ、鼻の奥の腫れている粘膜部分をレーザーで焼いてもらいました。
麻酔の効きが悪かったのか、術中はずっと強い痛みがありましたが我慢していました。
鼻の粘膜を焼かれた香りがしました。自分が焼かれるにおいを初めて嗅ぎました。

手術後は鼻の奥がかさぶたのようになっていました。ゴワゴワ、ムズムズした違和感がありました。
どうもしばらくは鼻をかんだりしてはいけなかったようなのですが、点鼻薬で鼻の快適さに慣れていたため鼻の奥のかさぶたが非常に不快で鼻をかんだりしているうちにかさぶたが取れてしまったようでした。
その後しばらくは鼻血がよく出る状態で1ヶ月ほどで落ち着きましたが。落ち着いた時には鼻は元通り、放っておけば詰まる状態でした。
おそらくこれは事後の対処がよくなかったのかと思っています。

その後しばらくはまた点鼻薬を使用して過ごしていたのですが、常用しているうちに効き目の持続時間が短くなっていきました。はじめは9時間程度だったものが6時間くらいになってきてさらにだんだんみじかくなり3時間を切り、2時間持たなくなりました。点鼻薬を常用し始めて2年くらいたった頃でした。
鼻呼吸に慣れてしまっていたので鼻が詰まった時の息苦しさや不快感は、点鼻薬を使い始める前よりも強く感じるようになっていました。寝ているときなどは息ができない状態で苦しくて目が覚めました。「ブハァ」と目が覚め、心臓がドキドキしていました。生活の質が著しく低下していました。

さすがにマズイと思いました。
そこでインターネットで調べて鼻炎などの治療で有名な病院へ行きました。
腫れている部分を切除するような手術があるらしく、できればそれを行ってもらいたいと思っていました。
しかし、先生からはまず点鼻薬をやめること。毎日鼻うがいをすること。鼻うがいのあとに処方の薬を鼻に点すこと。を指示されました。
1ヶ月やってだめならその時に手術も視野に考えようとのことでした。
半信半疑のままおすすめされた鼻うがいの道具を購入し帰宅しました。
そのときおすすめされたものは「ハナクリーンS」というものです。
鼻うがいは鼻が痛くなると思い嫌だったのですが、説明書通りに行うと全く痛みもなく鼻がすっきりしました。
処方された点鼻薬はステロイド系のなんだかで、粘膜の炎症を抑えるためのものとのことでした。
鼻うがいはすっきりする感覚がよく、朝晩苦もなく行いました。
数日で鼻での呼吸が問題なくなり1ヶ月後には手術は必要ないとの結論になりました。

治ったのは3年ほど前になりますが、その後は気が向いたときに鼻うがいしている程度です。
いろいろな要因が重なってのことだとは思うのですが、こうもあっさり鼻炎が治るものとは思いませんでした。
いい先生に指導頂けたと思いましたし、もっと早くに鼻うがいを行っていればよかったとも思いました。

ここ数日頭が痛くて頭痛薬を飲んでいました。
最初は眼精疲労かと思っていたけど、毎日続くのでどうもおかしいと思ったら、思い出しました。 

毎年年末から年始の間に強烈な頭痛になるのです。
毎日というわけではなく、この時期に1日とか数日。
初めてなったときは寝ているとき急激な頭痛でかなり焦った記憶があります。
何年か同じことを繰り返すうちに頭痛が起きることに慣れてしまって、
頭痛薬を飲んでやり過ごしています。

花粉症のときの頭痛を強烈にした感じなのでたぶん何かのアレルギーなんだと思っていますが、
こんなに短期間限定の何かってあるんでしょうか。
途中何回も引っ越しているので地域性があるものとも思えず、
何かの食べ物に依存しているのかとも思ったのですが、あまり毎年共通しているものもなく謎のままです。

まあ、今年も「一体何なんだろう」と思っているうちに沈静化して忘れてしまいそうです。
 

以前体調を悪くして会社を辞めた時のことを少し書こうと思う。

辞める1年半ほどまえから業務量が急激に増え、それまで以上に忙しくなった。
仕事は嫌いではなく面白く感じてもいた。
ただ、くたびれてしまった。

会社のトップから自分の直属の上司に連なるそれぞれがバラバラなことを言うのに疲れた。それぞれがとりあえず否定をする思考の持ち主たちだった。
職務の性質上多くの課題は手探りの中創作的に解決を見出すものだったため、どの企画・提案も極端な話やってみないとわからない部分が必ず残るものであった。 

彼らの思考はとりあえず反対しておくことで 、企画が失敗した際の保険をかけているようなものだった。企画の錬磨のための議論は必要と考えるが、彼らは「とりあえず反対」という立場を反射的にとるので話にならなかった。論理的な整合性を脇に追いやっての反対なので、応酬をしているとこちらの頭が混乱した。改めて別提案をすると、前回と矛盾する立場を平気で取ってごねられた。

普段の会話でもとりあえず反対する人を見かける。会話においての主導権がほしいのか、なんでも討論と勘違いしていてとにかく勝ちたいのか、否定をしておけば失敗した場合に優位に立てるからか、いずれにしても関わりたくない人たちだ。

そんなやり取りをしばらく続けていると非常に言葉を選んで話すようになった。 
もともと人からあれやこれやと言われることが好きではないこともあり、「とりあえずの否定」をする隙を与えないようにタイミングや根回しも周到に行っていた。仕事における労力が本来ほとんど意味がないことに注がれていることには気づいていた。バカバカしくなったころ、喉がつかえる感覚が日常的になっていた。ヒステリーボールという呼び名があるそうだ。連続するげっぷや吐き気もたびたび起きる。朝は非常にだるく動けなかったし、胃が荒れていることが自分でもわかった。平日は部屋を出るまで何度も横になり休憩をしながら準備をし出勤していた。休日は一日中ゴロゴロしていた。睡眠の質は悪く夜眠れない、眠ってもすぐに目が覚めた。

倦怠感と合わせて記憶力が極端に低下していた。とにかくメモをしないと何をやっていたか、何をするべきかがすぐにわからなくなる。頭がぼーっとしていた。自分でもマズいと思い乗り物の運転は避けていた。
言葉が思い出せず会話が詰まってしまうことが多くなった。人やモノの名前が出てこなくなった。
会話や文章が頭に入らず1度で理解できない。文章は意識して集中するよう指でなぞりながら読んだりした。
6桁程度の数字を覚えて端末に打ち込むこともできなかった。覚えられない、覚えられた気がしない、自信がない。2~3桁ずつ覚えて打ち込んだ。
特定の言葉の発音がうまくできなくなっていた。「~です・~ます」が「~ですす・~ますす」のように。なぜそうなったのかは今でもよくわからない。他にもいくつか自覚していたけど忘れた。滑舌は全体的に悪くなっていた。
ものごとを決められない、決断できない状態も強く出ていた。仕事上の決断はもちろん、例えば昼食に入った定食屋で注文を決めるまでに時間がかかる、コンビニで飲み物を買おうと思っても1つに決められないなど。
些細に思えるかもしれないがつらい症状。定食屋などでは注文しないと仕方ないので「これにしよう」という意思決定はできないまま、とにかく適当に注文する形になる。はた目には同じことかもしれないが、自分でしっかり決めていないのだ。コンビニで飲み物を買う際などは決められずに何も買わないで出てくることもあったし、目についたものを3つ4つ買って出てくることもあった。そうしないと時間がかかってどうしようもなかった。
焦燥感が襲ってくることも多かった。イライラしてちょっとしたことで爆発しそうになる。職場では息抜きをしながらしのいでいた。夜に近所の河川敷で大声を出したり、運動したりしていた。それでも家庭内ではイライラが爆発してしまうことがあった。
音や光にも敏感になっていた。寝るときに部屋を真っ暗にしないと気が済まず、遮光カーテンの隙間も密閉した。いろいろな耳栓を試して、イヤーマフとの併用もしてみたりした。自分の鼓動が聞こえ、それがまた気に障った。

こういう状況でさすがにマズイと感じていた。
ただ、自分ではストレスで胃が荒れていることから食道やのどの違和感が起きていると理解しており、その他の症状もストレスからの睡眠不足と、それに伴うものと思っていた。
医者に行ってみようと思ったとき、まず内科を考えた。そして心療内科というものが気になった。これらを併設している開業医を近所で探して行った。
地下鉄の駅でハアハア言いながら予約の電話を掛けたことを覚えている。 
予約の日までは2週間近くあったと思う。初診では一通り症状を話して心臓などの検査と、原因を調べるための問診があった。先生は、「それはうつ病だよ」と言った。
その病院は精神科も診られる病院だった。 

ひとまずイライラを抑える薬と、睡眠薬が処方された。
薬を飲めば、とりあえずイライラは緩和され、夜も6時間は眠れた。
薬の影響でボーッとした感覚が常時あったが息苦しい圧迫感が溶ける感覚があった。
のどの症状や、だるさ、言葉が出ないなどは相変わらずだった。

2週間に1回ペースで通院する中で、仕事を離れることを勧められた。
休職なりして半年とかのまとまった時間を療養に当てないとなかなか治らないという話だった。

どうするか考えなければならなかった。ただ、当時すでにあまり考えることができなくなってもいた。
とにかく面倒くさくもあった。
休職などという中途半端ではまた戻らなくてはいけない。休職後に戻らないにしてもまたごちゃごちゃと手続きが必要になることを考えるとうんざりした。
すっぱり辞めることにした。面倒くさくなって全部放り出した形だ。
近い人には本当のところを話した。彼らは理解してくれた。うつ病に対する理解が一般的になっていると感じた。
むしろ、同じような症状を自覚している人も何人かいた。些細なようだが支えになった。

退職までの時間、特に最後の1週間くらいはとてもしんどかった。
業務の引継ぎが必要なことは当然なのだが余計な手間にしか感じなかったし、送別会的なこともありがたいことではあるけどとにかくしんどかった。 
我慢我慢と自分に言い聞かせてこなし、時間が過ぎるのを待った。
だるさと疲労感は続き、何度も爆発しそうになっていたが、こらえた。

こうして辞めた。辞めてしばらくなにもせず、ボーとしていた。
生活リズムが崩れすぎないようにだけ気を付けていた。
様子を見ながら散歩をしたりした。
だいぶたったころ、精神的な圧迫感がスーと抜けている気がした。時間的距離というものは大事だと思った。 

今にして思えば原因はいろいろあったのだろうと思う。何年にもわたって睡眠不足気味の生活をしていたし、住環境も騒々しくよくなかった。
仕事以外でも、親戚関係で一時的に負荷が大きくなっていた。

ただ、仕事をやめたことはよかったと思っている。あの段階でとにかく休むという選択ができたことは幸運だった。周囲にも恵まれていた。
あれをこじらせるとひどいことになっていただろうと思う。ふわふわとおかしなことを考えていたし、自分に向かわなければ他人に向かっていたかもしれない。

今でもストレスを感じているときにげっぷが出るようだが気にしていない。まったく平穏な日常だ。
うつは心の風邪などときいたことがあるがその通りだと思う。あまりこじらせる前にきっちり休んで治すことが大事なのだろう。 

年末の大晦日に毎年とんかつを食べに行っています。
高級なお店ではなくチェーン店です。
駅の近くの同じ店に大体同じ時間に行きます。
毎年同じ日同じ時に同じ場所を歩いて見ることが楽しかったりします。

去年の年末も行ってみたのですが、お店が閉まっていました。
貼り紙には12月31日の短縮された営業時間のお知らせと、1月1日の休業が告知されていました。 
去年まではもっと遅い時間までやっていたのですが、今年は昼すぎに閉めたようです。 

仕方がないのでぶらぶらと散策しましたが、年末年始休業の貼り紙が以前より増えてきていました。
いいことだと思いました。

駅前の立地なので年末年始に閑散とすることから閉めているのかもしれませんが、
飲食店や小売店などもできるなら休業にした方が店員さんたちの生活が充実していいと思っています。 
年に何回かの大きな祝日行事に毎回仕事では、私生活や家族親戚関係がどんどん疎かになっていきます。
少しくらいの給料やボーナスよりも、重要なポイントでの休暇・時間の方が従業員満足度の向上につながると思います。

同じ会社でいつまで働けるかわからないのが当たり前なのですから、極力私生活を犠牲にしたくないのは当然です。回収できない可能性が高い先行投資は無駄ですから。

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