以前体調を悪くして会社を辞めた時のことを少し書こうと思う。

辞める1年半ほどまえから業務量が急激に増え、それまで以上に忙しくなった。
仕事は嫌いではなく面白く感じてもいた。
ただ、くたびれてしまった。

会社のトップから自分の直属の上司に連なるそれぞれがバラバラなことを言うのに疲れた。それぞれがとりあえず否定をする思考の持ち主たちだった。
職務の性質上多くの課題は手探りの中創作的に解決を見出すものだったため、どの企画・提案も極端な話やってみないとわからない部分が必ず残るものであった。 

彼らの思考はとりあえず反対しておくことで 、企画が失敗した際の保険をかけているようなものだった。企画の錬磨のための議論は必要と考えるが、彼らは「とりあえず反対」という立場を反射的にとるので話にならなかった。論理的な整合性を脇に追いやっての反対なので、応酬をしているとこちらの頭が混乱した。改めて別提案をすると、前回と矛盾する立場を平気で取ってごねられた。

普段の会話でもとりあえず反対する人を見かける。会話においての主導権がほしいのか、なんでも討論と勘違いしていてとにかく勝ちたいのか、否定をしておけば失敗した場合に優位に立てるからか、いずれにしても関わりたくない人たちだ。

そんなやり取りをしばらく続けていると非常に言葉を選んで話すようになった。 
もともと人からあれやこれやと言われることが好きではないこともあり、「とりあえずの否定」をする隙を与えないようにタイミングや根回しも周到に行っていた。仕事における労力が本来ほとんど意味がないことに注がれていることには気づいていた。バカバカしくなったころ、喉がつかえる感覚が日常的になっていた。ヒステリーボールという呼び名があるそうだ。連続するげっぷや吐き気もたびたび起きる。朝は非常にだるく動けなかったし、胃が荒れていることが自分でもわかった。平日は部屋を出るまで何度も横になり休憩をしながら準備をし出勤していた。休日は一日中ゴロゴロしていた。睡眠の質は悪く夜眠れない、眠ってもすぐに目が覚めた。

倦怠感と合わせて記憶力が極端に低下していた。とにかくメモをしないと何をやっていたか、何をするべきかがすぐにわからなくなる。頭がぼーっとしていた。自分でもマズいと思い乗り物の運転は避けていた。
言葉が思い出せず会話が詰まってしまうことが多くなった。人やモノの名前が出てこなくなった。
会話や文章が頭に入らず1度で理解できない。文章は意識して集中するよう指でなぞりながら読んだりした。
6桁程度の数字を覚えて端末に打ち込むこともできなかった。覚えられない、覚えられた気がしない、自信がない。2~3桁ずつ覚えて打ち込んだ。
特定の言葉の発音がうまくできなくなっていた。「~です・~ます」が「~ですす・~ますす」のように。なぜそうなったのかは今でもよくわからない。他にもいくつか自覚していたけど忘れた。滑舌は全体的に悪くなっていた。
ものごとを決められない、決断できない状態も強く出ていた。仕事上の決断はもちろん、例えば昼食に入った定食屋で注文を決めるまでに時間がかかる、コンビニで飲み物を買おうと思っても1つに決められないなど。
些細に思えるかもしれないがつらい症状。定食屋などでは注文しないと仕方ないので「これにしよう」という意思決定はできないまま、とにかく適当に注文する形になる。はた目には同じことかもしれないが、自分でしっかり決めていないのだ。コンビニで飲み物を買う際などは決められずに何も買わないで出てくることもあったし、目についたものを3つ4つ買って出てくることもあった。そうしないと時間がかかってどうしようもなかった。
焦燥感が襲ってくることも多かった。イライラしてちょっとしたことで爆発しそうになる。職場では息抜きをしながらしのいでいた。夜に近所の河川敷で大声を出したり、運動したりしていた。それでも家庭内ではイライラが爆発してしまうことがあった。
音や光にも敏感になっていた。寝るときに部屋を真っ暗にしないと気が済まず、遮光カーテンの隙間も密閉した。いろいろな耳栓を試して、イヤーマフとの併用もしてみたりした。自分の鼓動が聞こえ、それがまた気に障った。

こういう状況でさすがにマズイと感じていた。
ただ、自分ではストレスで胃が荒れていることから食道やのどの違和感が起きていると理解しており、その他の症状もストレスからの睡眠不足と、それに伴うものと思っていた。
医者に行ってみようと思ったとき、まず内科を考えた。そして心療内科というものが気になった。これらを併設している開業医を近所で探して行った。
地下鉄の駅でハアハア言いながら予約の電話を掛けたことを覚えている。 
予約の日までは2週間近くあったと思う。初診では一通り症状を話して心臓などの検査と、原因を調べるための問診があった。先生は、「それはうつ病だよ」と言った。
その病院は精神科も診られる病院だった。 

ひとまずイライラを抑える薬と、睡眠薬が処方された。
薬を飲めば、とりあえずイライラは緩和され、夜も6時間は眠れた。
薬の影響でボーッとした感覚が常時あったが息苦しい圧迫感が溶ける感覚があった。
のどの症状や、だるさ、言葉が出ないなどは相変わらずだった。

2週間に1回ペースで通院する中で、仕事を離れることを勧められた。
休職なりして半年とかのまとまった時間を療養に当てないとなかなか治らないという話だった。

どうするか考えなければならなかった。ただ、当時すでにあまり考えることができなくなってもいた。
とにかく面倒くさくもあった。
休職などという中途半端ではまた戻らなくてはいけない。休職後に戻らないにしてもまたごちゃごちゃと手続きが必要になることを考えるとうんざりした。
すっぱり辞めることにした。面倒くさくなって全部放り出した形だ。
近い人には本当のところを話した。彼らは理解してくれた。うつ病に対する理解が一般的になっていると感じた。
むしろ、同じような症状を自覚している人も何人かいた。些細なようだが支えになった。

退職までの時間、特に最後の1週間くらいはとてもしんどかった。
業務の引継ぎが必要なことは当然なのだが余計な手間にしか感じなかったし、送別会的なこともありがたいことではあるけどとにかくしんどかった。 
我慢我慢と自分に言い聞かせてこなし、時間が過ぎるのを待った。
だるさと疲労感は続き、何度も爆発しそうになっていたが、こらえた。

こうして辞めた。辞めてしばらくなにもせず、ボーとしていた。
生活リズムが崩れすぎないようにだけ気を付けていた。
様子を見ながら散歩をしたりした。
だいぶたったころ、精神的な圧迫感がスーと抜けている気がした。時間的距離というものは大事だと思った。 

今にして思えば原因はいろいろあったのだろうと思う。何年にもわたって睡眠不足気味の生活をしていたし、住環境も騒々しくよくなかった。
仕事以外でも、親戚関係で一時的に負荷が大きくなっていた。

ただ、仕事をやめたことはよかったと思っている。あの段階でとにかく休むという選択ができたことは幸運だった。周囲にも恵まれていた。
あれをこじらせるとひどいことになっていただろうと思う。ふわふわとおかしなことを考えていたし、自分に向かわなければ他人に向かっていたかもしれない。

今でもストレスを感じているときにげっぷが出るようだが気にしていない。まったく平穏な日常だ。
うつは心の風邪などときいたことがあるがその通りだと思う。あまりこじらせる前にきっちり休んで治すことが大事なのだろう。